前回、やりたいことが見つからない人は、「心を縛る鎖」のせいで、「よくない循環」に陥ってしまっていると書きました。
今回は、その「鎖」について見ていきましょう。
・義務感
しなければならないことが多すぎて、余裕がない。やるべきことをこなすだけで、毎日が終わってしまう。つねに「~をしなければならない」という気持ちに追い立てられている。
・決めつけ・思い込み
「女性(男性)は、こうでなければならない」「妻(夫)は、これをしなければならない」「親は、こうでなければならない」「社員は、こうであるべき」など、「〇〇は、~べき」という考えをもっている。
その考えは、自分の考えにも関わらず、「だから、したいことができない」「我慢しなければならない」と、半ば被害者意識に陥っていることもある。
・あきらめ
「どうせ~だから無理」「○○な私にはできない」「自信がない」「能力がない」「性格的に無理」「時間がない」「お金がない」「知り合いがいない」「今さらできない」「もう歳だから無理」という気持ち。
・世間の目・他人の目
まわりから、あるいは、誰からか「こう思われるのではないか」「反対されるに違いない」「非難される気がする」「心配をかけると思う」と、人の目を気にしている状態。
・他人の意見・反対
自分とは異なる意見、反対、否定を受けて、行動をストップしている状態。
いずれも、その考え方を選んでいるのは「自分自身」ではあるのですが、半分「受け身」、「~させられている」「~を強いられている」「あきらめざるを得ない」という気持ちになっています。
これらの考え方の裏側にあるのは、次のような気持ちです。
・愛されたい ~ いい人でいたい。相手の期待に応えることで愛されたい
・認められたい ~ 自分は正しい。自分は価値ある存在だと認めてほしい
・安全でいたい ~ 変わらないことで、自分を守りたい
これらの気持ちは、誰にでもありますが、とくに上の2つで、人に求める気持ちが強いと、だんだん本当の自分の気持ちがわからなくなってきます。
自分が、人に受け入れられるために、自分の気持ちを曲げているのですが、だんだん曲げないと受け入れられない、誰かのせいで曲げざるを得ない、犠牲になっているという気持ちになってくることもあります。
たとえば、もとは「家族のために、家にいたほうがいい」という自分の選択だったのが、知らず知らずのうちに「家族のために、家にいなければならないから、やりたいことができない」「家族の犠牲になっている」という気持ちに変わっているケースです。
これらの「心を縛る鎖」は、自分で縛っているので、はずすことができます。
「愛されたい」「認められたい」という気持ちは、自分の主体性を拡げ、他人への依存心を減らすことによりはずせます。
たとえ誰かに自分の考え、意見、行動などを否定されても、人の考え、意見はそれぞれなので、相手の考え、意見の自由も尊重する。そもそも、自分の存在価値は変わらず重いということを自分で認識することが大事です。
また、「安全でいたい」という気持ちは、単に不安をもつのではなく、不安に備える、万一に備える。「備えあれば憂いなし」としたほうがよいと思います。
・義務感
「しなければならない時間」より「したいことに使う時間」を徐々に増やしていく。もし、人目を気にして、本来やらなくてもいいことまでやっているのなら、それを減らしていく。
・決めつけ・思い込み
我慢して後悔するより、少しずつでもしたいことをするように意識を変える。
・あきらめ
「今できないこと」は、決して「将来もできないこと」「いつまでも、永久にできないこと」ではない。試しに、できることからやってみる。「〇〇がなくても」「〇〇でも」、できる方法を考えてみる。
・世間の目・他人の目
思い込みかもしれないし、過剰に期待に応えようとしない。
いい人でなくなると、否定されるのではないかという不安があるかもしれないが、そういう人は「都合のいいあなた」を求めているだけで、あなたのことを本当に大切には思っていない人かもしれない。
・他人の意見・反対
さまざまな人がいるので、さまざまな意見があるのは当然。自分がどうするかは、他人ではなく「自分の」人生なので、自分で決める。主体的に生きる。
さらに…
人は皆「愛されたい」「認められたい」「安全でいたい」と思っていますが、求めるだけの人が多いので、なかなか満たされません。
ですから、自分が「愛する」人、「認める」人、「安全をもたらす」人になりましょう。
次回は、「よい循環」について説明します。