「もう4月ですね~」というような発言を年中している川嵜です。
今回は、お金と幸せの話です。
ふむふむと思う記事2つ。
ひとつは、「週刊現代」の「ニッポンは『新・階級社会』になった!」という記事。
講談社の「現代ビジネス」のサイトで読めます。⇒ http://gendai.ismedia.jp/articles/-/38784
「【第1部】金持ちや高学歴の人が幸せなわけじゃない 高卒ヤンキーの『幸せ』と海外移住するエリートの『不幸』」
内容をまとめると、次のようになります。
東京からシンガポールに自社(IT企業)の拠点を移した経営者は、日本では「自分は金持ち」とゆるぎなく思っていたが、シンガポールにはもっと荒稼ぎしている人たちがいて、スーパーエリートたちのなかでは、かすんでしまってがっかりな感じ。
また、別の外資系企業に勤める人は、東大卒で、共働き。世帯年収は3000万円。恵まれているはずなのに、億単位のボーナスをもらっている人たちと自分を比べ、満足できない様子。
これに対し、サーフショップの店員をしている人は、手取り20万円弱の月給で、妻と娘(1歳)と暮らしている。「結局、仲間がいて波があればそれでいい」という境地で、不安もなく、満足して暮らしている。
また、コンビニでバイトをしている女性(夫と子ども2人)は、祖国に貧しい家族を抱えている外国人のアルバイトに比べれば、自分たちの境遇はずっと恵まれていると、仲間と話している。
もうひとつの記事は、「アエラ」4月7日号の「年収1千万円の研究」。
結論から言えば、年収1千万円を超えていても、その年収に満足しているのは半数。同じ仕事でもっと稼いでいる人と比べて不満だったり、激務に納得がいかなかったり。
まあ、そういうものだと思います。
井上陽水さんの曲「限りない欲望」の歌詞のように、何か欲しいと思ったものが手に入ると嬉しいけれども、しばらくすると、それがあるのが当たり前。さらに欲しいものが出て来て、それを持っている人が羨ましくなる。
お金と幸せの関係は、お金がなくて生活できない状態なら、幸せを感じるのは難しいかもしれませんが、ある程度暮らしていける状態なら、決して比例しているわけではないと思います。つまり、お金が2倍得られれば、幸せも2倍・満足度も2倍になるわけではないということです。
私は、これまで仕事でお会いするのは「経営者」ばかりで、この方たちの会社の売り上げ、利益、ご自身の年収、財産は、人によって、また、同じ人でもタイミングによってかなり幅がありました。そういったなか、お金と幸せは比例していないと、強く感じました。
お金がなくてもビジョンや希望、やりがいがあれば、志を同じくする仲間や、喜んでくれるお客さんがいれば、笑顔に満ち溢れ、幸せを感じられます。
要は、その人が、人生に何を求めているかだと思います。
精神的な満足は、生きがいを感じられる仕事をやっていて、その感謝と評価の意味のお金を得られるほうが、価値を感じていない仕事を、お金のために嫌々やっているよりも得られるでしょう。
物質的な欲求は、満たされない精神的な欲求の代替品である場合があります。
高額の商品を買うことによる満足感は、それを買える自分に対する満足感であり、人に認めてほしい、褒めてほしいという気持ちが伺えます。
それよりも、もっと直接的に、仕事や活動で、お互いに認め合い、信頼できる仲間がいたり、愛し愛されている家族がいるほうが、満足度は高いはずです。
自分が得たい、与えられたいという側にいると、自分と同じような仕事で、自分よりも頑張っていないのに、うまいことをして稼いでいるやつがいて悔しいという気持ちになりがちです。
自分が与える側にいると、自分にとって大事な人たちのためにどう貢献できるか考えているだけでも楽しく、それが実現できて、喜んでもらえると、非常に満足度が高くなります。
与えられたいという気持ちに対しては足るを知り、自分が与えるものに関しては、よりよいものを追求するのが、幸福への一歩ではないかと思います。