ハッピーに過ごすヒント 第6回 どうならハッピーなのか?(前編)

昨日までお盆休みで今日から仕事だったという人がたくさんいらっしゃると思います。
今朝は「はあ」とため息をつきながら、暑いなか、重い体を引きずるように出勤された方もいらっしゃるかもしれません。
あるいは、「自分にはお盆休みなんてない。先週もこの土日も仕事だった」という方も。

しかし、見方を変えれば、仕事があるのはいいことです。
そして、住む家があり、戦争や暴動が起きているわけでもありません。
今朝も、あの世に行くことなく起きて、身体も動いている。

それでも、そんなことは当たり前で、自分はぜんぜんハッピーではないと思っている方もいらっしゃるでしょう。

では、どういう状態ならハッピーなのか?

働かなくてもいいぐらいのお金があったらハッピー?
働かなくてもいいぐらいのお金があったらハッピー?

仕事で成功する。
お金持ちになる。
働かなくても遊んで暮らしていける。
誰もが羨むパートナーを得る。
……

しかし、どれだけ成功しても、お金があっても、自分はハッピーだと感じられない人もいます。
人が羨むようなパートナーを得ても、ずっと幸福感が続くとは限りません。

成功している実業家。評価の高い仕事人。
優しそうなパートナーと、優秀で可愛い子どもたち。

いかにもハッピーを絵に描いたような人、家族。

しかし……。

他人からは幸せそうに見えても、本人がハッピーだと感じているとは限りません。
他の人にはわからない、その人なりの悩みや大変なことはあります。

かつて、ある国の人が言っていました。
「私は、日本人として生まれたかった。日本人として、日本で暮らせていたら、どんなに幸せだっただろう」と。

多くの日本人にとって、ただ日本人であることは、ハッピーの理由にはなりません。それは「当然」のことですから。

同様に、人から見たらハッピーに見える状態、羨ましいことであっても、本人にとって、それは「当然」であり、ちっとも「ハッピー」と結びつかなかったりします。

こんな状態になったらハッピー、これを得たらハッピーというのは、それが叶っても「末永く幸せに暮らしましたとさ」にはなかなかなりません。
合格したらハッピー。就職したらハッピー。結婚したらハッピー。成功したらハッピーは、やがて、その状態が「当然」になります。

そして、「もっと」何かを得ないとハッピーではなくなります。
それを得ても、さらに「もっと」、さらに「もっと」何かを得ないとハッピーではなくなり……限りがありません。

では、どうならハッピーなのか? どうすればいいのか? 続きは来週。

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投稿者:

川嵜昌子

経営コンサルタント、コーチ、編集者。 東京で26年間、経営者向け雑誌の編集長、コンテンツ開発部門長、経営コンサルタント等として働く。5千人以上の経営者を取材・コンサルティングしている。2010年より長崎。 川嵜昌子のサイト